翁長沖縄県知事が亡くなりました

翁長沖縄県知事が亡くなりました。
心よりお悔やみ申し上げます。

「ぼくは非武装中立では、やっていけないと思っている。集団的自衛権だって認める。しかしそれと、沖縄に過重な基地負担をおわせるのは別の話だ。あんた方のつぎはぎだらけの防衛政策を、ぼくらが命をかけて守る必要はない」
「イデオロギーよりアイデンティティー」。翁長雄志知事が、沖縄県議や那覇市長時代から使った言葉だ。「基地は沖縄に置いておけばいい」という本土に対し、保守も革新も束ねて沖縄の声を発信し続けた。
 戦後の米軍施政下で、軍用地を米軍が一括して買い上げる1956年の「プライス勧告」。しかし、先祖の土地を守るため県民は勧告に応じず、米側のもくろみは空振りに終わった。「当時の人はのどから手が出るほどお金が欲しかったはず」。こう振り返る翁長氏は、「うやふぁーふじ(祖先)」を心から誇りに思っていた。
 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対したのは、「これまで自ら差し出した土地はない」との思いからだ。自民党県連の幹事長も務めた保守政治家だったが、移設推進に転じた同党と決別。
 2014年の知事選てオール沖縄を基盤に出馬し勝利。「うちなーんちゅ(沖縄人)」の誇りを残すため「辺野古に基地は造らせない」と叫び続けた。
 移設をめぐる政府との法廷闘争では、「未来を切り開く判断を」と訴えたが、最終的には県が敗訴。強硬な政府を前に苦境に追い込まれた。それでも、膵臓がんにむしばまれた身体をむち打ち最後まで抵抗した。先月27日には、前仲井真知事による埋め立て承認の撤回を表明、「最後のカード」を切る執念を見せた。
 政府は辺野古移設の必要性に固守する姿勢は変わらない沖縄の声が本土に届かないもどかしさを抱え、翁長氏は旅立った。
安倍政権からは沖縄県民に寄り添うという言葉だけの言葉が虚しく発せられるだけで、現状は相変わらず米軍基地は沖縄に押し付けたらいいさーと考えているとしか思えない政策を強権的に進めている。
頑張れウチナーンチュ。命がけで死の間際まで戦った翁長氏の思いを無駄にしないように。
いまこそ自らのチムにかけて、彼が天国で「選んだ道が正しかった」と安心できるように進もうではありませんか。

(一部JIJI等のサイトから引用させていただきました。)

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