今から8年ほど前に、宮古島の狩俣地区にある小さな七光湾に、森万里子さんというアーティストが企画したサンピラーが建てられました。
5メートル以上の高さのあるアクリル製の柱(決して大きく透明になったジャスタウエィ(銀魂参照)ではありません。)。
地域環境の保全と活性化を目指したものだそうで、これまた白くて大きなボール状のムーンストーンとセットで作成される予定でした。
当時は翌年にできそうな話でしたが未だに影もありませんし、いつまでに完成するという話も聞きません。
宮古毎日新聞によると、総予算は約3億円で09年から予算調達のため国内外の各種団体などから寄付を募集。10年2月には資金調達のためアメリカで税制上優遇措置認定団体を、同年11月には宮古島市に「NPOガイア・アート協会」を設置。「ふるさとまちづくり応援基金」から522万円の補助金を拠出している。
ということで、かなり大きなお金が動いたような。
うーん、なんだかなー。
これって完成しなかったら、誰が責任取るのでしょうか?アートは法律の枠外?
ということで様子を見に行ってきましたが、看板はあるもののほとんど人が訪れた形跡もなく、単に宮古島北部の小さな湾の岩の上に乳白色のポールが立ってるだけ。
自然との違和感しかありませんでした。完成したら、何かあるのかなー???
何はともあれ、地方に行くほど芸術という名前に弱いのは沖縄も例外ではないようです。
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宮古島(4)マンゴージュース
宮古島(4)マンゴージュース
マンゴーと言ったら、完熟の状態なら宮古島産のアーウィン(アップル)マンゴーが、他県産よりも美味しいと経験的に思っています。
でも、7月から8月前半で収穫時期が終わるので、その後はキーツ種(緑色)か冷凍保存されたものになります。
9月以降になるとジュースで提供されるものが多くなりますが、今回あちこちで飲んでみました。その中でお勧めできそうなのを。もちろん試せなかったところもありますので、そのあたりはご了解ください。
AOZORA CAFE (青空カフェ)
来間島に入るとすぐにあるお店。店内はなんとなくオールデイズを意識した感じで居心地も○。 いろんなフルーツを使ったメニューがありますが、マンゴージュースは濃度もあって果物の美味しさがストレートに出ている上等なものでした。
宮古島海中公園のシーサイドカフェ海遊
海の中を観察できる施設ですが、そこに併設されているカフェレストラン。
ここのマンゴー生ジュースは、今回の旅行でも一番濃さがあり果肉もかなりはいっています。で、一杯800円と観光地価格ですが、入場料とのセット料金も設定されているので、少しお得。余談ですが、ここのシーフードカレーもかなりいけました♪
ユートピアファーム
少し南部にある植物園のような施設ですが、ここはソフトクリームが美味しいのでも有名・
で、マンゴージュレは520円で、果肉がたっぷりの充実したもの。
このときは冷凍でなく、キーツマンゴーの完熟したものをたっぷり使っていて美味。一押しかもしれません。
ジュースの写真撮り忘れましたので、サイトから拝借しました。
宮古島(3)ヌドクビアブ(伊良部島の聖地)
ヌドクビアブ(伊良部島の聖地)
伊良部大橋から伊良部島に入ると、突き当り付近にきれいに区画整理されたエリアがあります。
結構な広さがあり、何箇所かは一区画まるごと森という場所も。
このあたりはまだまだ人間が文化的と言われる生活を始める前に、人々が住んでいた名残りのある場所で、人骨、貝殻その他研究家なら喜びそうなものが埋まっているようです。
大戦時には、この場所に兵隊さんが隠れていたとか。
ということで、ヌドクビアブは史跡に指定はされていますが、殆ど来る人の気配はありません。
なかなかのパワースポットということなので、行ってみることに。
もちろんG-MAPなんかにマークされているわけでもなく、とにかくあちこちしている間に入り口らしき場所に到着。
でも、説明板はあっても通路が…緑に覆われて、よくわかりません。
一番可能性の有りそうな場所から、〇〇隊長みたいに緑をかき分けて侵入。
道らしきものは、足元を見るとなんとなく続いていて、やがて急斜面を降りると階段が。
でも、この階段一部が二、三段飛んでいたりで、こういうところにこそロープを…と思いましたが、考えたら観光客はほとんどこないものね。
でも、この周辺は確かにパワースポットと言われるだけのバイブレーションに満ちていることは確認できました。
行かれる方は、長袖長ズボンがおすすめです。
先週宮古島に行きました。
宮古島で東松照明写真展を見てきました。
宮古島に行きました。
これでもかなりの期間写真を生業としていたので、どうしても宮古島市総合博物館で開催されている故東松照明氏の写真展を見たかったことと、伊良部大橋ができてからまだ行っていなかった場所も多いので、そのあたりの取材も兼ねてということです。
まず写真展から。
東松照明氏の写真は、ひと目見て素晴らしいプリントだと思えるものでもないし、スタイリッシュなものでもありません。
そのかわり何枚もの展示された組写真すべてで人の心をえぐるような力を持っているんです。思想家といってもいいくらい洞察が鋭く、戦後の日本の、そして沖縄の状況を切り取って見せてくれています。
今回の写真展「沖縄・宮古1972~1983」も、なかなかのものでした。
最後の文章が書かれたパネルに、{太陽の鉛筆」という写真集に書かれた文を軸とした文章が載っていました。
彼はパスポートのような日本政府発行の身分証明書を携帯して1972年4月、沖縄に移住します。{宮古島にくる以前、ぼくは八重山の離島をめぐっていた。島のいたるところでよく耳にした言葉がある、「ひもじくないか」。…島の人びとは、「きょうはよい天気ですね」といった挨拶用語の軽さで、「ひもじくないか」を連発する。この言葉に長い年月にわたって徹底的に差別され収奪されてきた沖縄先島の苦痛の歴史を読み取ることもできる。
宮古島ではどうかというと、やはり島びとは「ひもじくないか」を連発する。が、宮古では、いっそう頻繁に使われる慣用句が他にある。それは、「さびしくないか」だ…}
戦争に巻き込まれた沖縄。大切な物、人を次々と失い、最後まで互いに気にかけていたこと…それが、「ひもじくないか?」と「さびしくないか?」ということだったようです。宮古では挨拶のように尋ねあう習慣があったからかもしれません。
(宮古島では、今でも知人に会うと”どこに行くんですか?””いつ帰るんですか?”など声を掛け合うことが多いそうです。)
彼はそんな愛すべき島の人達に、さびしさを思想化せよと語ったらしい。
そしてサブタイトルに、逝去8年後の今「46年前、子供だったあなたは今どうしていますか。」と問いかけていました。
その後改めてもう一巡り写真を鑑賞し、ややもするとウサギよりも「さみしさ」に弱そうな人間について考えさせられました。
—————エヴァ知ってる人用—————-
さみしさといえば、エヴァンゲリオンを思い出します。
人間は自分という独りで出来ているから、寂しさをなくすことはできない。
その寂しさが他者や自分を傷つける。
だったら、その心の欠けたところを埋めよう、というのがストーリーの中核をなす人類補完計画でしたね。
—————以上エヴァ知ってる人用—————-
寂しさは、使い切れないほどのお金があっても、友人に恵まれていても、簡単には消えてくれません。
あなたは「さみしくないか?」と尋ねられたときに、「さみしくなんかないよ。」と答えられるでしょうか。
翁長沖縄県知事が亡くなりました
翁長沖縄県知事が亡くなりました。
心よりお悔やみ申し上げます。
「ぼくは非武装中立では、やっていけないと思っている。集団的自衛権だって認める。しかしそれと、沖縄に過重な基地負担をおわせるのは別の話だ。あんた方のつぎはぎだらけの防衛政策を、ぼくらが命をかけて守る必要はない」
「イデオロギーよりアイデンティティー」。翁長雄志知事が、沖縄県議や那覇市長時代から使った言葉だ。「基地は沖縄に置いておけばいい」という本土に対し、保守も革新も束ねて沖縄の声を発信し続けた。
戦後の米軍施政下で、軍用地を米軍が一括して買い上げる1956年の「プライス勧告」。しかし、先祖の土地を守るため県民は勧告に応じず、米側のもくろみは空振りに終わった。「当時の人はのどから手が出るほどお金が欲しかったはず」。こう振り返る翁長氏は、「うやふぁーふじ(祖先)」を心から誇りに思っていた。
米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対したのは、「これまで自ら差し出した土地はない」との思いからだ。自民党県連の幹事長も務めた保守政治家だったが、移設推進に転じた同党と決別。
2014年の知事選てオール沖縄を基盤に出馬し勝利。「うちなーんちゅ(沖縄人)」の誇りを残すため「辺野古に基地は造らせない」と叫び続けた。
移設をめぐる政府との法廷闘争では、「未来を切り開く判断を」と訴えたが、最終的には県が敗訴。強硬な政府を前に苦境に追い込まれた。それでも、膵臓がんにむしばまれた身体をむち打ち最後まで抵抗した。先月27日には、前仲井真知事による埋め立て承認の撤回を表明、「最後のカード」を切る執念を見せた。
政府は辺野古移設の必要性に固守する姿勢は変わらない沖縄の声が本土に届かないもどかしさを抱え、翁長氏は旅立った。
安倍政権からは沖縄県民に寄り添うという言葉だけの言葉が虚しく発せられるだけで、現状は相変わらず米軍基地は沖縄に押し付けたらいいさーと考えているとしか思えない政策を強権的に進めている。
頑張れウチナーンチュ。命がけで死の間際まで戦った翁長氏の思いを無駄にしないように。
いまこそ自らのチムにかけて、彼が天国で「選んだ道が正しかった」と安心できるように進もうではありませんか。
(一部JIJI等のサイトから引用させていただきました。)
何日か前の那覇の青空
入梅して久しい沖縄ですが、それ以来晴れの日の多いこと。
海水温も段々上がり、本当はこれから台風が接近することの多い時期までの間が最高のシーズンかもしれません。
まずはツアーやホテルの料金が、ハイシーズンよりも安い!
その上に海も透き通っていてきれい。
観光地を歩くには暑さがですが、これは夏のハイシーズンも同じ。
これから7月はじめまでは、とっても沖縄の海を楽しむのに向いている季節です。
あとは9月に入って台風の様子を見ながら10月半ばまでかな。
ハイシーズンも豊富な予算なら問題ありませんが、最近は海外からのお客さんも増えているので、混雑覚悟が必要に。
それに、国際通りも観光地もショートパンツにタンクトップの女性と、一眼レフに何故か大型望遠レンズをつけ持ち歩いている男性のカップルが増えてくるでしょう。
あ、写真は家から見た那覇豊見城方面の青空です。
追伸:かみさんが猫ブログやめて久しいですが、最近職場のモナカ、それに続き自宅のコタロウが逝去しました。
寂しいです…(泣)
昭和30年あけましておめでとう
新年明けましておめでとうございます。
旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。
今年は後半本業が多忙で、なかなかサイトの更新作業が進まずご迷惑をおかけしました。
今年は観光ページの北部を更新、次にトップページ周りをスマホ対応に更新、それから海関連のページ更新を予定しております。
沖縄に移住して大分年月も経過して、観光血にも多くの変化があったことも痛感した年でした。
ひめゆりパーク、サラバンダー、豊見城城址公園、アクアポリス、思い出してみると多くの観光施設が消えていきました。ビーチも瀬良垣、伊武部、タイガーなどのビーチも大手資本のリゾートに吸収され、私が移住してきた頃の沖縄とは大分変わってきました。
でも、まだまだ沖縄らしさがあちこちに残り、自然を取り込んだリゾートは快適な滞在を可能にし、良くなった面も多々あります。
他県とは異なった歴史が育んだ琉球文化はまだまだ健在。
ということで、これからも新しい沖縄の情報をお届けしていけたらと思っています。
台風9号はやばいかも
今までの5号以降の台風は、このままなら沖縄には大して影響はなさそうだと高をくくっていましたが、今回フィリピンの東に発生した9号は、このまま行けば月末くらいに南から沖縄に接近してきそうです。
まあ異常気象ですから、その通りにすすまないこともありそうですが、このあたりに来沖される方は、台風情報をこまめにチェックしてくださいね。
台風が来ないと海水温度が上がり、サンゴが白化してくるという白化現象によって死滅してしまいます。だからそういう面ではありがたいのですが…
波が高くなり、船や飛行機が欠航するなど遊びに来られる方には迷惑ですよね。