最近以前ほどではありませんが、沖縄情報IMAは数年前まで今の倍以上アクセス数もあって、定期的に遊びに来て下さる方々も多々おいでになりました。
私は不甲斐ない管理人なので生業に追われてなかなか参加できない状況でしたが、自然発生的にオフ会も定期的に開かれるようになり、たまに折り合いのつくときには参加させていただくこともありました。
そんななか、波の上ビーチで開かれたオフ会で、初めてタコさんにお会いしました。とても元気の良い大阪のおばさん(お姉さん?)で、沖縄が好きで移住されていて、そのうち関西のイカ焼きのお店セテールを開店されて、私も立ち寄らせていただいたりしていました。
といっても頻繁に行くことも叶わず、年月が経つうちに、人伝えにタコさん体調悪くて・・・という話が届きました。相変わらず時間が取れにくい生業のため、お見舞いにも行けなくて時間が過ぎましたが、症状が良くなく大阪にお帰りになったと言うことで、気にしてはいたのですが、余計にいくことが難しくなり…最近ちえりんさん、kaottiさん他何人かの方に、「タコさん、無くなったって・・・」という連絡をいただきました。
お知らせいただけましたこと、感謝いたします。
相変わらずバタバタした日常なので御霊前にうかがうことはできませんが、沖縄より心からお冥福をおお祈りさせていただきます。
合掌
Tacoさんにはセテール閉店後、偶然に美栄橋駅でお会いしたことがあります。
大阪から姉妹の方がお見舞いに来てくれて、見送りに行くところがだと言う事でした。
ニットキャップを被っておられましたが元気そうでした。
もう、数年前になります。
先月那覇に行った時にはサンライズ通りのセテール跡の店舗店頭でイカ焼きを売っていたので、Tacoさんの事を思い出していたところです。
ご冥福をお祈りさせていただきます。
那覇中前の最初のセ・テールで何時もお昼から夜までたむろ(当時はセ・テールでたむろする事をセテルと言っていました)していた私ですが、takoさんがある日、尋麻疹を発症して救急車で病院で救急に搬送されて癌を発症されているのが判明されてから、入院、大阪へUターン、入院。亡くなられるまで再会敵わず残念でした
。思い起こすのは那覇在住を中心とした友人達と粟国島の無人旧家をお借りして島の方達と交友をtakoさんをメインにして楽しんだり、セ・テールの常連客でセ・テール前の路上や那覇空港近くの公園などでバーベキューパーティをしたことなどです。入院中にSNSでtakoさんが{もう、あかんかも}との「死ぬ死ぬ」詐欺(takoさん御本人のセリフ)で何時の間にか私自身に覚悟が出来ていた為か、takoさんの訃報に接した時は不思議と涙が出ませんでした。
御本人とはたくさんの思い出がありますが、ただただありがとうございましたとの気持ちしかありません。
最後に18世紀のイギリスの詩人のThomas Canbellの私の好きな詩をtakoさんへの送り言葉(墓標)として書き記したいと思います。
「To Live in hearts we leave behind, Is not to die.」
直訳すると「残りし者達の心に生きり続ける限り、そこに死はない。」